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2023.09.12

インタビュー:「YOKAI」大国、鹿児島。

 

『YOKAINOSHIMA』は、日本列島58カ所の仮面仮装の神々や鬼の姿を捉えた、仏写真家シャルル・フレジェさんの代表作。ユネスコ無形文化遺産登録3件を有する、鹿児島のお祭りも数多く取り挙げられています。国際的に活躍する作家の視点から、鹿児島の文化の多様性や日本人の精神性、伝統継承の課題について伺いました。

 

シャルル・フレジェ

1975年、フランス・ブルージュ生まれ。初期より一貫して肖像写真を追求し、スポーツ選手や学生、兵士などの社会的集団を、詩的かつ人類学的な視点から撮影。アルル国際写真祭の出品ほか、世界各国のギャラリーで展覧会を多数開催。近著に、『CIMARRON(シマロン) ブラック・アイデンティティ ー南北アメリカの仮装祭』『AAM AASTHA(アーム アスタ) インドの信仰と仮装ー分かち合う神々の姿』。

 

ユニフォームから見えてくるもの

 

 私は世界各地の伝統的な民族衣装や儀礼用のコスチュームをまとった人々の撮影をしていますが、もともとは農家の家庭に生まれ育ち、20歳までは農業を学んでいました。その後アートスクールに入学し、芸術を学びながら写真を始め、肖像写真へと特化していきました。土着文化や自然信仰に紐づくポートレイトを制作しているのは、こうした自身のバッググランドと関係していると思います。絵画を学ぶなかで、同じ題材を同じフォーマットで制作し続けたアーティストたちをリサーチする機会がありました。サント=ヴィクトワール山を描いたセザンヌ、教会を描いたモネ、そして著名人の肖像画をモチーフにしたウォーホルなど。彼らのシリーズ作品を見るうち、「統一性」というテーマに強く惹かれていきました。そこから、同一性やコミュニティへと内容を掘り下げるうちに、“ユニフォーム”にたどり着きました。コミュニティを理解するうえで、たくさんの情報が盛り込まれた一番表層的なツールだからです。次第に、なぜ人は着飾るのかを考えるようになりました。それを視覚化するため、高校の制服や軍服、ワークウェアをはじめ、特定の職種やコミュニティが着用するユニフォーム姿を同じポーズと構図で撮影してカテゴリーごとに分類する、というスタイルを確立させていきました。さまざまなジャンルのユニフォーム姿の写真群から、あるグループに属することが個人にどのような影響や変化をもたらすのかを問いかけているんです。

 

 

「YOKAI」というコンセプチュアルな存在

 

 『YOKAINOSHIMA』のきっかけは、ヨーロッパ各地の伝統的な祝祭の儀式に登場する「獣人(ワイルドマン)」を捉えたシリーズ『WILDER MANN』の撮影後に行った、アジア諸国の土着文化に関するリサーチでした。興味が湧いたナマハゲ(秋田県男鹿市芦沢)を撮るために来日し、そこで手応えを感じて日本の農村部の祭りを題材にすることに決めました。2013年初春のことです。その後、フランスのエルメス財団から支援を受けて、本プロジェクトが始動しました。当初はワイルドマンと親和性のある被写体を探していて、撮影できそうな伝統行事や地域を選出し、あらかじめリストを作成して撮影に臨んでいましたね。バーントゥ(沖縄県宮古島島尻)やスネカ(岩手県大船渡市吉浜)など、欧州との共通点を持つ装束を見つけると同時に、日本固有のものが数多くあることも分かってきました。そこで、撮影エリアの範囲を広げて、2014年の夏に鹿児島からスタートして、九州各地を撮影しました。翌冬には本州北部や北陸方面を周り、その次の夏は南から北上。最後は南の島国を重点的に巡り、各地を転々としながら制作を進め、2013年から2015年の間に計5回来日しました。

 

 『WILDER MANN』では、演じ手が仮面で個人のアイデンティティを完全に隠し、ヤギや鹿、馬や熊に変身するという行為を捉えています。人間が根源的に持つ、動物性への問いかけでもあるのです。一方、日本では人間の様相を残しながら、来訪神や精霊、はたまたイマジネーション豊かな獅子などを演じる。作品にまとめるときに彼らを「YOKAI」と表現しましたが、言葉で説明するのが難しい。いわゆる悪さをする妖怪ではなくて、精霊と日常生活の間に存在するものだと捉えています。また、農業との繋がりが強いのも日本の特徴です。豊作祈願が、多産繁栄とも密接に繋がっていますね。百姓の夫婦が、それぞれ生殖器を模した道具を携える田の神(鹿児島県志布志市安楽)は、明らかにそのことが表現されています。それまで、五穀豊穣とセクシャリティが一緒くたになるお祭りは見たことがありませんでした。

 

 東洋と西洋の間で、装束の普遍性があることは言うまでもありません。しかしながら、オランダやポルトガルをはじめ、中国やベトナム、韓国など、日本は実に多様なエリアや国の文化を吸収し、その地域に根付いた伝統や土着文化を融合させて、独自の表現形式を生み出し伝承してきた。それが日本文化の豊かさなのだと思います。

 

 

イメージメイキングの裏側 

 

 装束のディテールを追求することは、制作で一番こだわった部分です。私の最大の関心事は、物事の表層にありますからね。コスチュームに身を包んで仮面を被り、伝統を受け継ぐ人々の姿形を捉えることが目的なので。伝統そのものをテーマにしているわけでも、伝統行事の背景を伝えるためのフォト・ルポルタージュでもありません。撮影は、田んぼや山の麓、海岸など、その土地の暮らしと深く関係する自然を背景に行いました。いわゆる、映えを意識した場所ではなく、日本の原風景を感じさせる場所です。撮影中は構図や背景とのバランスを考慮しながら、彫刻作品へのアプローチさながら、装束に身を包んだ人のシルエットが際立つようにイメージを作り込んでいきました。そういえば、浮世絵の影響もあるんですよ。プロジェクトの進行中、浮世絵に描かれたキャラクターたちの生き生きとした描写に惹かれて、『北斎漫画』に関する本を読みました。撮影中のポーズを指示している時にも、それらのイメージが心に浮かんだことを覚えています。撮影に参加してくれた地元の方も、自分たちが守ってきた伝統にスポットライトが当たるということでとても協力的でしたし、なにより喜んでくれていました。

 

 

鹿児島にいる多様な神々たち

 

 日本列島58ヵ所の撮影地のなかで、鹿児島の数は群を抜いて多いんです。約1/3を占めています。その理由は、来訪神のバラエティの豊かさにあります。このプロジェクトで、私が一番楽しんだところです。装いの素材づかいやキャラクターの演出、祭りのプレゼンテーションまで土地ごとにまるで違う。島だけでなく、県本土でも同じような傾向があります。ナマハゲに似たガラッパ(鹿児島県南さつま市)もいれば、メンドン(鹿児島県硫黄島)という、なにに影響を受けたのか分からないものもいますね。ボゼ(鹿児島県悪石島)は、東南アジアのボルネオ島のコスチュームと似ています。しかし、それがどうやって伝来したのか、そして始まったのか見当もつかないわけです。住民の想像力が生み出したクリエーションなのかもしれませんし。これは推測ではありますが、鹿児島は特に島が多く開かれた環境ゆえ、南方の島との交易を通じて文化交流が生まれ、移民の流入も多様であったのではないかと考えています。島が多いフィリピンでも同じ傾向が見られるんですね。異文化交流の頻度、宗教や植民地化の影響、要素はさまざまですが、島の数だけ異なる文化があるんです。

 

 また、日本は演劇的な祭りが多いですね。出水市には、「兵六踊り」という舞踏劇があります。身分の違いから起こる摩擦や緊張感を、演劇的な祭りに昇華して当時の世の中を風刺しています。与論の「与論十五夜踊り」も寸劇仕立ての踊りで、さまざまな文化が流入する島ならではの表現で、島内・琉球・大和の芸能をひとつにまとめたユニークなものでした。

 

 鹿児島ならではの思い出というと、群島を転々としていたので、船での移動ですね。撮影のスケジュールがタイトだったので、船内で水平線を見ながらゆったりと流れる時間がとても良くて。もし日本に戻ることがあれば、行きたいところのひとつが鹿児島です。特に、奄美や与論へ思い入れがあります。美しい自然に触れ、素晴らしい経験ができました。撮影の合間の食事が、唯一リラックスしてその土地を感じられるひと時だったのですが、与論で食べたシマアジが懐かしいです。地元の方と一緒にお昼を囲んで、楽しい時間を過ごせました。

 

 

未来へ繋ぐために

 

 3年間の撮影旅行で感じたのは、日本人は自国の伝統に対して大変な敬意を持っているということです。教育の賜物と言っても良い。同時に、見て見ぬふりもする。伝統が大切ならば、日本人はもっと田舎に住んでもいいはずです。マスメディアが作り上げた”伝統”という壮大なフィクションに踊らされていて、現実が見過ごされているように感じました。そこが私の目には「都合の良い情景」に映りましたね。これは日本に限ったことではありませんが、特に都会の人々は、田舎に対する幻想をそのまま飲み込み、ただ消費していることに無自覚です。その土地の暮らしぶりがどんなものか分かっていないし、彼らが直面している問題にも向き合おうともしない。田舎で育てた食材こそが至上だという妄信的な考えもあるほどで、まるで宗教のようです。日本で撮影した祭りの多くは、高齢者のおかげで存続していました。食べ物を作りながら、その土地を守っている農家たちです。過疎化と後継者不足を目の当たりにして、皆が敬う伝統を持つ地域は消滅しつつあると感じました。都市と田舎には、大きな隔たりがある。「良し」とされている情報の裏側には、受け入れがたい真実が複雑に絡み合った世界が広がっているんです。

 

 年に1度の祭りを楽しみ、伝統的な食文化に触れてその日のうちに飛行機や新幹線で都会の生活に戻る。それは、ツーリズムですよね。『YOKAINOSHIMA』では、現在祭りが行われていない来訪神も撮影しています。鹿児島県竹島の「タカメン」です。撮影当時で、15年間も時間が空いていると聞きましたが、また再開するのでしょうか。伝統を存続したいのであれば、田舎へ移住する選択肢もあると思います。ネットワークなど働く環境さえあれば、都会に住む必要もない。そのうえで、農業や漁業に携わり、集落の活動に参加していくことが必要なのだと思います。また、彼らをサポートする制度や教育も不可欠です。東日本大震災を機に移住したけれど、結果的に都会に戻った人が数多くいたという話を聞いたことがあります。見知らぬ土地で新たな生活の基盤を築くのはリスクを伴いますが、やれることはたくさんあるはずです。

 

新たな挑戦へ

 

 日本での撮影後、別のエリアのシリーズを制作しました。最新作で今年出版した『AAM AASTHA(アーム アスタ)』は、インドが舞台です。数多くの伝統や伝説、宗教が存在するインドでは、それぞれが独自の祭りや儀式を行っていて、神々の姿形も装飾の幅も多様です。身分の低いカースト出身者が、その神聖な役割を割り当てられることが多く、彼らは職業としてそれを全うしています。生活のためにやっていて、とても現実的なんです。同じアジアでも大きな違いがあり、とても興味深い。いまは、東南アジアでのプロジェクトが進行中です。これから2〜3年ほどかけて、たくさんの島を訪れ、その土地ならではのコスチュームを撮影していく予定です。