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かごしま文化情報センター(KCIC)からの各種お知らせやプレスリリースをご紹介するページです。

2016.05.18
レポート『伝統芸能の継承』~喜入・宮地棒踊り~

レポート『伝統芸能の継承』~喜入・宮地棒踊り~

去る4月24日(日)に鹿児島市喜入町にて宮地集落のお花見があり、「宮地棒踊り」の披露がありました。その際に、宮地棒踊り保存会の会長である勝目育男さんにお話を伺うことができました。


【喜入町】

「喜入」の名は、1414年島津久豊がこの地で上げた戦勝を祝して給黎(きいれ)を「喜入」と改めたのが最初です。「喜び入る」と書くことから、縁起のよい地名として、近頃は駅にて記念の切符を購入する人が増えています。2004年11月1日に鹿児島市、吉田町、桜島町、松元町及び郡山町とともに市町村合併により鹿児島市となりました。

【宮地集落】

喜入中学校近くにある宮坂神社周辺の地域で、およそ100余りの世帯数があります。1557年建立(社殿は1901(明治34)年改築竣工、1936(昭和11)年改修)の宮坂神社や麓(*1)ならではの古い石垣が見られる歴史のある地域です。お田植えの行事や毎年1月に行われる山の神への奉納行事など伝統行事を大切に受け継いでいます。

*1…麓(ふもと)。鹿児島では藩政時代の外城制度において、武士でありながら農作業に従事している、いわゆる郷士が多く存在し、郷士が居住していた集落を麓集落と称し城下町のような機能を有していました。

宮坂神社

【宮地棒踊り】

宮地棒踊りは平家の落人が、一族の士気を鼓舞するため当時刀を使うことができなかったことから、棒を使い武芸の修練に励んだのが始まりといわれ、城ケ野地区で明治の初期頃までひっそりと受け継がれていた踊りが、宮地集落に伝わり、祭りや祝いごとなどで宮地棒踊りとして定着していきました。しかし、過疎が進むにつれ受け継ぐ若者がいなくなり、1956(昭和31)年以後途絶えていたところ、1977(昭和52)年にUターン現象などで増えた若者が集まり、親睦を深めようと壮年会(宮の会)が発足。地区内の奉仕活動を開始し、その一環として棒踊りも復活させ、現在に至り、町文化祭、地区芸術祭などに出場し、宮地集落の誇りとなっています。現在子どもたちに指導し、集落の花見の席などで毎年踊り、集落民から喜ばれ定着しています。―喜入町郷土誌(2006(平成16)年3月発行)より抜粋―

六尺棒2名、三尺棒4名の6名1組の編成ですが、現在、継承する子どもは9名。本来は小学生のみに教えていたそうですが、今は小学2年生~6年生が6名、中学2年生が1名、小学1年生が2名だそうです。小学1年生はもちろん、今年始めたばかり。披露する日に全員参加できるとも限らないことを考えると、ぎりぎりの人数だと言います。年々、子どもの数が減っているのが現状で、大人にも参加を呼びかけ、大人による編成も練習をしている最中だそうです。

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この日は、雨が降ったため、屋内での披露となりましたが、9名のうち、小学1年生2名と中学生を含む7名が棒踊りを披露してくれました。子どもたちの一生懸命な姿を見る集落の人々の中には、踊りの動作を一つ一つ見守る人、歌を口ずさむ人も見られ、脈々と受け継がれてきていることを実感することができました。
集落の取りまとめを行い、保存会の会長も務める勝目育男さんは、「今は1組しかつくれず、少し見た目に寂しいが大人にも入ってもらって2組にしたい。皆、仕事もあるので、夜の練習であったり、なかなか人数がそろわなかったり、苦労は多いが、伝統を受け継ぐためにも、これからさらに練習を重ねてがんばっていきたい。」と意気込みを語ってくださいました。
また、地域の皆で、お花見の席の準備を行ったり、大人から子どもへ支度の仕方を教えたり、年上の子どもが自分よりも年下の子どもたちを手伝う、一緒に遊ぶなど、取材の合間の子ども同士、子どもと大人たちのやり取りを見ていると、このような行事の中で、踊りだけでなく、年齢や職業に関係のない確固たる地域の繋がりも同時に受け継がれているのだなと感じました。
さまざまな地域でいろいろな伝統芸能が受け継がれています。伝承をしていくことはとても難しいことですが、地域のコミュニティのあり方が見直される昨今だからこそ、続けていってほしいとあらためて思いました。


取材&写真:かごしま文化情報センター 伝統芸能担当 森永愛美

取材協力:宮地棒踊り保存会 勝目育男さん 及び 宮地集落の皆さま
喜入・宮地集落の皆さま、本当にありがとうございました。